19の頃、不整脈で入院したとブログに書いたことがある
結局それはパニック発作からの不整脈だったんだけど
入院までするという壮大な時間の無駄を経験したことがある。
地味にその時のことを書いてなかったと思うので
役に立つかもしれないので書いておこう。
コーヒーを飲みながら部屋で漫画かなんかを読んでたとき
いきなり心臓がバクバクしだした
息を吸っても吸っても
酸素が入ってこない感じというか
陸にいるのに溺れてる感じがした
おまけに吐き気もしていた
それが2時間3時間たってもおさまらない
あまりの苦しさに近所の病院に行った
そうしたら「風邪ですね」と言われた
んなわけがないと思いながらも医師に逆らえず
苦しみながら一夜を過ごした
その夜は死ぬかもしれないと思ったので
母に横で寝てもらっていた
起きても心臓はバクバクして吐き気がする
朝一番で少し遠いけど腕の良い病院に行った
この病院は私が赤ちゃんの時、肺炎でよく入院してた病院で
医師も子供の頃から私を診察していたのでよく知っている
症状を話したあと医師が私の胸に聴診器をあてた瞬間
医師の顔色が変わった
「すぐに心電図を」
と、言われて
心電図の部屋に運ばれ
なんかぬるぬるしたものを胸にぬられて
電極パッドみたいなのを貼られた
そして数時間後
医師に「不整脈がでている、身内に心疾患のある人はいますか?」
と、聞かれて困っていると
古株の看護師さんが「この人の伯母さんが心臓肥大症です」と
答えてくれた。(伯母さんとは毒伯母のこと)
すぐに大きな病院への紹介状を書いてくれて
次の日、私は大きな病院へ行くことになった
なんでその年で?
親より早く死にそうになるなんて
もしあんたがいなくなったら私一人でどうしよう
と、かなり取り乱していた
でも私自身はこの時
「長かった人生が終わってくれる」と思っていた
当時19才でも30年生きたと思うほど長かった
19で終わればこの先これ以上苦しい人生を送らずにすむ
なら、それでいいではないかと考えていた
でも、家に帰るとどんどん複雑な気分になってきた
19で死ぬかも
無職の父親に祝福もされず産まれ
学校でいじめられて不登校になり10代で死ぬ
「なんだこの人生?」と悔しくなってきた
私をいじめたやつらはのうのうと生きるだろう
こいつらは私の事を忘れてるかもしれないけど
下手すれば同窓会とかで私の話題になる事もあるかもしれない
そんな時「噂で聞いたけどあいつ死んだんだって」と言われ
アハハと笑われるに違いない
そして、こいつらは楽しい人生を歩んで長生きしました
でも私の母は泣いて暮らしました、めでたしめでたし。
胸糞悪いにもほどがある
私は人のストレス発散のための
サンドバッグになるために生まれてきたのか
そう思うと頭がかっとなって
死ぬのが怖いというよりも怒り泣きみたいに家で泣いた
簡単に死んでやるもんかと思った
よくブログで書いている
「人の顔色を見ず自分のためだけに生きる」
と決めたのもこの時だった
検査はせずに昨日の心電図を見て医師が下した診断は
これはなんだというと私も難しくて分からないのだけども
心房と心室に電気信号がうまく伝わらない病気で
若い人も発症するらしい
医師が言うには死ぬことはほとんどないが
カテーテル手術が必要でここよりもっと大きな病院に
入院しなければいけないと言われた
この時、もしかしたらパニック発作の可能性もあるから
心療内科を受診するか?
いっそこのまま入院してしまうか?
どうしますかと医師に問われてかなり迷った
仮にこのまま入院せず心療内科へ行ったとする
パニック発作と言われて
「様子を見ましょう」と薬を処方してもらい
楽になったとしても
本当にあれはパニック発作だったんだろうか?
やはりまだ、ものすごい病気が隠れているのでは?
と、気になり続けるような気がした
なので、すぐ入院する方を選んだ
医師はすぐに紹介状を書いて手続きをし入院は6月の半ばとなった
結局それはパニック発作からの不整脈だったんだけど
入院までするという壮大な時間の無駄を経験したことがある。
地味にその時のことを書いてなかったと思うので
役に立つかもしれないので書いておこう。
〜事の起こり〜
5月のゴールデンウイークコーヒーを飲みながら部屋で漫画かなんかを読んでたとき
いきなり心臓がバクバクしだした
息を吸っても吸っても
酸素が入ってこない感じというか
陸にいるのに溺れてる感じがした
おまけに吐き気もしていた
それが2時間3時間たってもおさまらない
あまりの苦しさに近所の病院に行った
そうしたら「風邪ですね」と言われた
んなわけがないと思いながらも医師に逆らえず
苦しみながら一夜を過ごした
その夜は死ぬかもしれないと思ったので
母に横で寝てもらっていた
〜不整脈発覚〜
起きても心臓はバクバクして吐き気がする
朝一番で少し遠いけど腕の良い病院に行った
この病院は私が赤ちゃんの時、肺炎でよく入院してた病院で
医師も子供の頃から私を診察していたのでよく知っている
症状を話したあと医師が私の胸に聴診器をあてた瞬間
医師の顔色が変わった
「すぐに心電図を」
と、言われて
心電図の部屋に運ばれ
なんかぬるぬるしたものを胸にぬられて
電極パッドみたいなのを貼られた
そして数時間後
医師に「不整脈がでている、身内に心疾患のある人はいますか?」
と、聞かれて困っていると
古株の看護師さんが「この人の伯母さんが心臓肥大症です」と
答えてくれた。(伯母さんとは毒伯母のこと)
すぐに大きな病院への紹介状を書いてくれて
次の日、私は大きな病院へ行くことになった
〜パニックを起こした母と私の心境〜
母は泣いたなんでその年で?
親より早く死にそうになるなんて
もしあんたがいなくなったら私一人でどうしよう
と、かなり取り乱していた
でも私自身はこの時
「長かった人生が終わってくれる」と思っていた
当時19才でも30年生きたと思うほど長かった
19で終わればこの先これ以上苦しい人生を送らずにすむ
なら、それでいいではないかと考えていた
でも、家に帰るとどんどん複雑な気分になってきた
19で死ぬかも
無職の父親に祝福もされず産まれ
学校でいじめられて不登校になり10代で死ぬ
「なんだこの人生?」と悔しくなってきた
私をいじめたやつらはのうのうと生きるだろう
こいつらは私の事を忘れてるかもしれないけど
下手すれば同窓会とかで私の話題になる事もあるかもしれない
そんな時「噂で聞いたけどあいつ死んだんだって」と言われ
アハハと笑われるに違いない
そして、こいつらは楽しい人生を歩んで長生きしました
でも私の母は泣いて暮らしました、めでたしめでたし。
胸糞悪いにもほどがある
私は人のストレス発散のための
サンドバッグになるために生まれてきたのか
そう思うと頭がかっとなって
死ぬのが怖いというよりも怒り泣きみたいに家で泣いた
簡単に死んでやるもんかと思った
よくブログで書いている
「人の顔色を見ず自分のためだけに生きる」
と決めたのもこの時だった
〜診断〜
次の日、私は母と大きな病院に行った検査はせずに昨日の心電図を見て医師が下した診断は
wpw症候群(ウォルフ・パーキンソン・ホワイト症候群)
これはなんだというと私も難しくて分からないのだけども
心房と心室に電気信号がうまく伝わらない病気で
若い人も発症するらしい
医師が言うには死ぬことはほとんどないが
カテーテル手術が必要でここよりもっと大きな病院に
入院しなければいけないと言われた
この時、もしかしたらパニック発作の可能性もあるから
心療内科を受診するか?
いっそこのまま入院してしまうか?
どうしますかと医師に問われてかなり迷った
仮にこのまま入院せず心療内科へ行ったとする
パニック発作と言われて
「様子を見ましょう」と薬を処方してもらい
楽になったとしても
本当にあれはパニック発作だったんだろうか?
やはりまだ、ものすごい病気が隠れているのでは?
と、気になり続けるような気がした
なので、すぐ入院する方を選んだ
医師はすぐに紹介状を書いて手続きをし入院は6月の半ばとなった